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V字研メルマガ vol.47 「2位ならではの生き方」

突然ですが、あなたは柔道はお好きですか?
近年ではずいぶんメジャーなスポーツになりましたが、
以前は、女子から「臭いから嫌い」と
敬遠される超マイナーなスポーツでした。

そんな柔道界に
「世界一になれても、日本一にはなれないんです」と、
愛くるしい顔で話していたスポーツ選手がいました。
ロス五輪、ソウル五輪金メダリストの斉藤仁さんです。

その斉藤さんが20日、54歳の若さで亡くなりました。
私は高校・大学で柔道をやっていましたが、
無敵だった山下選手よりずっと好きだった人。
真摯なアスリートの早逝は残念でなりません。

斎藤さんの記憶で一番思い出深いのは、1988年のソウル五輪。
この頃の日本の柔道選手は勝ってあたり前と思われていました。
が、ソウル五輪では日本柔道陣は全階級で敗退続き。
原因は、柔道場ではあり得ない完全アウエーの空気でした。

そんな中、最終日に95Km超級で登場した斉藤選手は、
準決勝で韓国の選手と対戦。
この相手は、2年前のアジア大会で反則技を使われて
斉藤選手が怪我をして負けた相手です。

この日も反則スレスレの技を連発されましたが、
斉藤選手は堂々と受けて立ちました。
そして正義は勝つということを証明してくれました。

決勝に勝利した後、金メダルを見せながら
「これはみんなのものです」といった言葉に、
すごいプレッシャーの中日の丸を背負って試合していたのだな…
と感激しました。
この責任感は、WBCにおけるイチロー選手に通じる所があります。

これだけ世界で結果を出しながら、
国内では無敵の山下選手に8戦全敗。
冒頭の、「世界一になっても日本一に成れない」矛盾は
ここから出たものです。

が、このような矛盾は斉藤選手に限ったことではありません。
ビジネスの世界でも同じようなことがあります。

例えば、工作機械業界のヤマザキマザックがそうです。
国内ではオークマなど老舗企業の方がシェアは上です。
が、ワールドワイドで見たらマザックがシェアNo.1なのです。

それは、同社が国内のどのメーカーよりも早く
マーケットを海外に求めて売りに行き、
長い年月をかけて、確たるブランドを築いたからです。

マザックが海外に進出を決意した60年代。
国内市場は先行メーカーに席巻されていました。
同社に残された市場は海外のみ。やむにやまれずの進出でした。

が、国内で売れないものは、海外でもそう簡単には売れません。
同社は何度も壁にぶつかります。

当初は、商社を通して売ろうとしました。
が、それでは顧客のニーズを直接つかむことができません。
そのため、リスクを覚悟で顧客に直販する道を選びます。

次にぶつかったのが日本製=粗悪品のイメージです。
フランスでは「日本人が我々に工作機械を買えというのは、
我々に日本のワインを売ろうとしているのと同じくらい
愚かなことだ」と嘲笑されたといいます。

が、同社はそうしたイメージを
万全のアフターサービス体制を築き、払拭していきます。
このとき、同社は自社の市場開拓はもちろんですが、
「日本」というものを背負って挑戦していました。
そのことを同社の社史に書かれていた次の一文でもわかります。

「米国の顧客に、マザックが日本の会社だと伝えたら
『米国の会社じゃないのか?!』ととても驚いていた。
日本企業として認知されていなかったことが、とても悔しかった」

まるで斉藤選手のように日本機械業界の日の丸を背負って
海外での信頼を積み上げていった同社。
80年代以降は業界をあっと驚かせるイノベーションの連発で
世界中にファンを増やしていきました。

斉藤選手が2度の金メダルに輝いたのも、
山下選手という絶対王者がいたからこそ。
同じようにマザックも国内では常に強敵と凌ぎを削っていました。
そこから生まれたチャレンジ精神が
歴史的イノベーションを生み続ける原動力になったのでしょう。

斉藤選手が抱いていた
日の丸を背負って出ていき必ず結果を出すという使命感と
何度負けても挑み続ける「負けてたまるか」の精神は、
多くのビジネスマンに引き継がれているのだと思います。

ありがとう、斉藤仁さん。どうか安らかにお休みください。

 

V字研メルマガ vol.46「最強のブランドは、生き様からつくられる」

先日、Facebook上で自分で自分のことを
「『いいね!』職人 〇山×男」と
PRしている人を見つけて大変驚きました。

集客の専門スキルがあるのか、
Facebookで「いいね!」を集めるノウハウが自慢の人みたいです。
こう名乗ることで他者と差別化を図りたいのでしょう。
しかし、私には全然魅力的に感じられませんでした。

一方で
「世界の 王貞治」
「キング カズ」
「レジェンド」
「ミスター」
「燃える闘魂」
「経営の神様」。

こちらは超カッコいい。
ミスターも神様も、名前がなくても誰だかわかる。
ブランドもここまでいくと究極ですね。

自分を語る代名詞があるというのは素晴らしいことです。
その言葉に「貫いている生き様」が出ているからです。

去る18日、元プロ野球選手の大豊泰昭さんが亡くなりました。
享年52。台湾出身ですが大学4年+1年球団職員を経験し、
日本人として選手登録され、
本塁打王、打点王に輝いた経歴があります。

彼は2001年に引退した後、野球解説者になりました。
2003~2005年、私は毎週日曜の朝10時~11時半に
CBCテレビで放送されていた報道番組『ニュースな日曜日』で、
レギュラーコメンテータを務めていました。

木場弘子さんがキャスターを務めていたこの番組には、
毎回30分間「サンデードラゴンズ」という
ドラゴンズ応援コーナーがありました。
ニュースからの流れで私も一緒に出演していました。

「サンデードラゴンズ」では牛島和彦さんと
大豊さんが野球解説をしていました。
大豊さんは大変やさしく明るい人で、
いつもスタジオでジョークを振りまいていました。

また、腕や腿、ふくらはぎがめちゃくちゃ太くてたくましく
鍛えに鍛えぬいたものだと、服の上からでもわかりました。
笑顔は世界共通言語といいますが、
明るく人懐っこくすることと、人一倍努力することが
異国の地で生き抜く彼なりの処世術なのだと感じました。

大豊さんは名古屋市の栄で
『大豊飯店』という中華料理屋を経営していました。
そこにも私は家族や同僚、あるいは野球ファンのお客さまを連れて
よく出かけました。
2005年1月4日のブログに、私はこう記しています。

「大豊さんが経営する中華料理店・大豊飯店に
ランチを食べに行きました。
店内には有名選手のユニホームの他に、
大豊さんの直筆の書も多数あります。
そのすべてに『野球人・大豊泰昭』と署名あるのを見て感心しました。
自分のことを?〇〇人?と言えるのは、それ一途に生きてきた証。
(中略)自分の貢献領域が明確なことは美しいと思います」

さらに、当時小4で野球小僧だった息子が
思うように打てずに悩んでいたことがあります。
そこで息子と一緒に、講演会場の楽屋に訪ねていきました、

このときは突然の押しかけでしたが、
丁寧にバットの使い方を教えてくれました。
そして、「でっかい夢を両手でつかめ!」と書いた色紙をくれたのですが
そこにも「野球人 大豊泰昭」とサインがありました。

今回、闘病生活に入るときに報道関係者に宛てた書面にも
「野球人 大豊泰昭」と署名があったことを知りました。

台湾人でも日本人でもない。
自分は「野球人である」という生き方。
国境など関係なし。彼は米国に行っても欧州に行っても
「野球人」であり続けたと思います。
これほどグローバルに適応した肩書はないかと思います。

それだけ、野球一筋に野球道を極めようとしたのでしょう。
彼はイチローが小学校6年生のときにかいた作文
『僕の夢』を大きな紙に自分が毛筆で書写したものを
大豊飯店に掲げ、『野球人 大豊泰昭』と署名していました。

故郷を離れ、野球道を究め続けている
イチローの姿に共感するところが多かったのでしょう。
共感する人の子供時代の作文を書写し、
署名し、それを掲げる彼の姿に、
こうやって心も鍛えているのだと感心しました。

その誇りに満ちた力強いひとりの『野球人』生き方に
心から敬意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。

 

V字研メルマガ vol.32 健さんの脇役を光らす「不器用力」

映画スターだった高倉健さんが亡くなりましたね。
とてもとても残念です。

ビートたけしさんが、健さんがそこに立つと
圧倒的な孤独感があった…と語っていましたが
彼は常に何かを背負い込んで、それを胸のしまい込みながら
愚直に生きていく男の寂しさを演じていました。

そんな健さん作品の思い出は皆さんも山ほどあるでしょうが
私には、ダントツの感動シーンがあります。
それは、コンサルタントの本質に気づかせていただいた
映画『八甲田山』のワンシーンです。

映画『八甲田山』についてはお伝えするまでもないでしょう。
日露戦争に備えて雪中行軍の練習をする青森と弘前の二連隊。
ひとつは神田大尉(北路欣也)率いる青森第5連隊210名。
いまひとつは徳島大尉(高倉健)率いる弘前第31隊37名。

この二連隊が「雪の八甲田山で会おう」と誓い合い、
それぞれの登山道から走破を目指します。
しかし、神田隊は猛吹雪の中、道に迷い遭難。
210人中199名が死亡します。史上最大の登山遭難です。
一方徳島隊は予定通り走破して、目標達成します。

両者の違いのひとつが、行軍に道案内人を立てたかどうかでした。
道案内は、八甲田に暮らす貧しい農民です。
遭難した神田隊は、一度は道案内を立てようとしましたが、
大隊長(三國連太郎)の「必要ない」の一言で、
自力で進むことになります。

一方、高倉健さん演じる徳島隊は、ひとりの道案内を立てます。
農民の子の「さわ」。演じたのはまだ幼さの残る秋吉久美子でした。

彼女について歩くことで、深い山道も迷うことなく、
健さん演じる徳島隊は無事目的地の村に辿り着きます。
その村に入る直前、副隊長らしき人が徳島隊長にこう進言します。
「そろそろ村に入ります。案内人を最後尾へ行かせましょう」

いい大人の軍人が農民の娘に案内されて来たのは恥ずかしい。
だから隠した方がいいのでは…がその真意です。
しかし、徳島隊長はこの進言を一刀両断に切り捨てます。
「いや、このまま」

そのまま徳島隊は村内に入りました。
隊長は部下たちに一列に並ぶように命じます。
そして、次のように号令を発します。

「気をつけ!案内人どのに、かしら、右!」
兵隊が全員敬礼し、顔を「さわ」に向けたのです。
徳島隊による、案内人への経緯でした。

私は中学生の時、映画館で『八甲田山』を観ました。
大変感動しましたが、そのときこのシーンは
特段印象に残りませんでした。

ところが、コンサルタントになって数年目の90年代半ば。
TVで放映された『八甲田山』のこのシーンを観たときは
自分でも驚きました。徳島隊長の「かしら、右!」に
なぜだかワンワン涙が出て止まりませんでした。
理由は全く分からずに、ただ泣いていました。

しばらくして、ふと自分の涙の意味に気が付きました。
道案内人の「さわ」は人より半歩先を行き、導く人でした。
依頼人(徳島隊)より「八甲田山の地理に明るい」という
優れた専門性があり、それを発揮することで
依頼人の目標達成を助けたのです。

このことはコンサルタントと全く同じでした。
が、そうやってクライアントを支えながらも
コンサルタントは決して表に出てはいけません。
コンサルタントは黒子が当たり前。
最後は最後尾まで下がり、他者からは見えない存在になるのが
当然の習わしなのです。

ところが徳島隊長は違いました。
案内人に手伝ってもらったことを隠そうとせず、
事実として堂々と知らしめ、最高の敬意を示してくれたのです。
本当に役に立ったコンサルタントの姿がそこにありました。

黒子なのに、黒子を尊敬し、黒子に光を当ててくれた。
そんなシーンに、日ごろの頑張りを認めてもらった気がした…
だから泣けたんだ…と気が付きました。

自分が「年収〇千万円」とか「〇〇の仕掛け人」とか言って
自己PRするコンサルタントもいますが、私は違和感を覚えます。
なぜなら、私の理想のコンサルタント像は
映画『八甲田山』を観て以来、ずっと「さわ」だからです。

そして徳島隊長のようなクライアントに出会うことを夢に見、
常に「半歩先」のあるべき姿や方向を見える化することで
お客様とそんな関係に進化することが一番の喜びです。

このように「さわ」は僕の職業観を大きく変えました。
彼女がそこまで強いインパクトを放ったのは、
脇役を光らせる健さんの「不器用力」の賜物だと思います。

『幸せの黄色いハンカチ』でも『鉄道員』でも『あなた』でも
主人公健さんを励ます周囲の脇役たちを輝かせていました。
不器用が、周囲を光らせることを教えてくれた
不世出の名優のご冥福を心からお祈りいたします。

 

V字研メルマガ vol.27 「ザ・サムライ」たちの選択基準

先日、新潟県長岡市に講演会の仕事で行きました。
講演の冒頭のネタに使える話はないかと、
窓口担当の方に長岡市の特徴をお伺いしました。
すると、直江兼次、河合継之助、山本五十六の出身地だと
聞いてとてもビックリしました。

偉人が3人も出ているだけでも凄いことですが、
3人が3人とも歴史の岐路に立ち、
熟慮に熟慮を重ねた決断を迫られた人だからです。

直江兼次は、大河ドラマ『天地人』の主人公。
兜に『愛』の文字を掲げている姿があまりにも有名ですね。
関ヶ原の戦いで反家康側につきました。そして、敗れました。

河合継之助は、幕末の長岡藩の家老。
戊辰戦争では、薩長と徳川の間に立ち、武装中立の道を模索しました。
が、徳川方で戦をすることに。そして、敗れました。

山本五十六は、太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官。
開戦から半年で速やかに講話に持ち込むことが彼の意図でした。
が、戦争は長期化。そして、日本は敗れました。

彼らの決断は悲劇をもたらしています。
地元長岡では、河合継之助は長岡を戦地にした責任者だとして
彼をよく思わない人もいるようです。
山本五十六も、彼の出身地だからということで
空襲された経緯があり、よく思わない人もいるようです。

が、彼らが今でも日本全国の人から偉人として慕われるのは
彼らの決断が、損得を基準にせず、
義や公を第一義に考えたものだからでしょう。
彼らは、国や藩が「どうなりたいか」よりも
「どうあるべきか」のみを大事にしていたように思います。

目先の勝ち負けよりも自分の信念を貫いた
彼らの言動には私利私欲が全く感じられません。
そんな彼らの生き様に、今でも多くの日本人が共感し
「ザ・サムライ」のカッコ良さを見るのだと思います。

では、長岡地区からなぜ相次いでそのような
ぶれない人たちが生まれたのでしょうか?
何か気候風土と関係しているのでしょうか?

そのことを新幹線の車窓を眺めながら考えていて
ひとつ思い至ったことがあります。
あくまで私の空想でしかありませんが、「米づくり」です。

田んぼが一反あれば、長い間そこで人々は暮らせます。
が、その開拓は北海道開拓史で伝えられるように容易ではありません、
さらに、そこから毎年米を収穫するのも容易ではありません。
タイミングよく手をかけてあげないと、米は育たないのです。

つまり、よほど長期的な展望や、
皆で力を合わせて作り、皆で分けるという発想がないと
決してできないのが米づくりです。
長岡はわが国有数の米の産地ですが、
その産業基盤とザ・サムライたちの排出とは無縁ではないでしょう。

そんなことを考えているうちに長岡には、
もう一人、私より公、今より未来を優先した
先人がいたことを思い出しました。

長岡藩の大参事だった小林虎三郎です。
名前は知らなくても、小泉純一郎元首相が引用して話題になった
『米百表』の主人公だといえば分かる人も多いのではないしょうか。

河合継之助による率いた北越戦争に敗れた後、
長岡藩は7万4000石から2万4000石に減給となり、
藩士たちは明日の食にも困るようになりました。

それを見かねた三根藩から長岡藩に米百表が贈られました。
藩士たちはこれで生活が少しは楽になると喜びましたが
小林虎三郎はこれを売却し、学校設立の費用に充てることを決定します。
藩士たちが驚いて彼に詰め寄ると、彼は次のように答えました。

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、
教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

つまり、米百表をその場しのぎのために消費するのではなく、
未来への投資に使ったのです。
教育ほどリターンが大きな投資はないといいますが、
先に大きく花開くための、種まきとして使ったのです。
この決断もまた、上記3人に負けぬくらい難しいものだったでしょう。

ミッションに忠実に生きた上記4人は、
苦渋の決断後も胸を張っていました。
そんな生き方がしたいな、との意を強くした長岡での仕事でした。

 

V字研メルマガ vol.26 モノマネしかできないときもある

10月31日はハロウィンでした。
当日、私は出張で長岡市にいたのですが、
22時ごろ、街中である集団とすれ違ってとても驚きました。

その集団は女子ばかり7~8人くらい。
全員がセーラー戦士でした。
「なんでこの場所で、今、コスプレイヤーが…?」と
しばらく考えて、ようやく合点がいきました。
どこかでハロウィンパーティがあって、その帰りなのだのでしょう。

翌日のワイドショーでは、31日の渋谷の様子を映していました。
長岡市で見かけた彼女たちと同じように
コスプレ化した男女が街中を歩き、人気を集めていました。
この国のハロウィンは、コスプレを楽しむ日となったのです。

コスプレは、「他人からどう見られるか」を意識し、
その目線を自分の刺激にする行為だと私は思っています。

以前、「ものまね王座決定戦」常連のプロと話をしたことあるのですが、
彼らのほとんどが、ものまねの世界に入った動機は
周囲の人から「○○さんに似ている~」と言われたことでした。

有名人に似ていることを喜んだ本人が、意識して真似しているうちに
いつしか自分の中の才能が目覚め、
プロになってしまった、というわけです。

そのようなものまねの才は、非常に重要な才ではないかと思います。
片岡鶴太郎さんは俳優でもありボクサーでもあり絵師でもある
マルチなアーティストですが、彼がプロボクサーになったのは
「ものまね」のおかげだと言っています。

彼は、20代の頃はお笑い芸人でした。
『おれたちひょうきん族』などにレギュラー出演していましたね。
得意技は、小林旭、小森のおばちゃまのものまね。
覚えている人も多いのではないでしょうか?

そんな彼は30歳を過ぎた頃、お笑い芸人として限界を感じていたといいます。
与えられた仕事をこなすばかりで、未来が描けない。

彼の芸は、有名人のものまねです。
自分のキャラを前面に出しているタケシやタモリとは異なり、
誰かに扮して表現することで成り立っています。
これは役者的な要素。
ゆえに、彼はお笑い→司会業には向いていないと自分で判断します。
そして、役者の道を選択します。

役者になるために彼が考えたことは、
その表現に用いる道具である
「自分の肉体や精神をリセットする」ことでした。
そこで始めたのが子供の頃から好きだったボクシングでした。

33歳までしかライセンスが取れないボクシングの世界で
彼は32歳に飛び込みました。
太り気味だった鶴太郎さんは1日4時間の練習をしたと言いますが、
もっとも閉口したのは「縄跳び」でした。

縄跳びが思うようにできない…
彼はトレーナーに「出きるように成るコツはないか?」と尋ねます。
が、トレーナーは素っ気なく答えます。
「コツなんかないのですよ。上手い人の真似をしてください」

この真似という言葉に、彼は反応します。
なぜなら彼は「ものまね」が得意だから。
そこで上手い人の一挙手一投足を真似しました。

すると、だんだん出きるようになり、
3週間を経た頃には、身体が自然に覚えてしまったといいます。
このとき、「自分にとても感動した」と彼は言います。
そして、33歳のリミットまでに見事ライセンスを取得したのでした。

お笑いを捨て、ボクシングのライセンスを取る。
そのような機会を自分で作ることで、
鶴太郎さんは、役者に相応しい自分に自分を作り替えたのでした。
それを可能にしたのは「ものまね」でした。

私も若い頃には偉大なコンサルタントの本を書き写したり
講演テープを何度も聴いて話し方を真似したりしました。

「ものまね」しかできない時もあります。
また、仕事でも趣味でも「ものまね」をし、
「なりきる」ことの中から
自分の秘めた可能性に気づくことは多数あると思います。

ハロウィンで仮装する若者たちも、
ヒーローやアイドルの真似をすることで
自分の中に潜む新しい可能性に出会ってほしいと思います。

外国人が驚く、日本式ハロウィン。
これからどんどん盛んになればいいと思います。

 

V字研メルマガ vol.22 自分に矢印を向ける効果(小渕優子)

小渕経済作業大臣が辞任しましたね。
その手腕を発揮される前の辞任、残念です。

原因は収支報告書の内容に不透明な点が多いこと。
ぜひ、解明して頂きたいと思います。

さて、そんな彼女の昨日の辞任会見を観ていまして
他の政治家と随分違うなと感じたことがあります。
それは以下のような発言です。

「代表者としての監督責任については、私自身が甘かったと思います」
「こういう形になった以上、全てが甘かったんだと思います。
私自身の責任は重いと思っています」

これまで、多くの政治家がこのようなスキャンダルに直面した時に
「私に責任がある」とは言いませんでした。

ほとんどの人が「秘書が勝手にやったことだ…」とか
「記憶にございません…」となどと言い逃れてきました。
矢印を、自分以外の誰かに向けて来たのです。
そして何人もの秘書や議員が命を絶ちました。

近年の企業の不祥事でも、同様の言い訳が見られます。
例えば、牛肉銘柄偽装表示で問題となった外食チェーン店の事件。
このとき会社は「料理長が店舗の利益を得るために故意にしていた」
とコメントしました。

「利益を出すため、料理長への過大な負荷が背景にあるのでは」
と記者から問われたトップは急に顔を上げ
「そういった環境をつくり出したとは思っていない」と
語気を強めて返答しました。

つまり、このトップは
「自分は正しい。間違ったのは現場の3人の料理長である」と
矢印を現場に向けています。

では、トップが「自分のせいではない。部下の問題だ」
という姿勢をとると次に何が起こるでしょうか?

トップが現場に対して不信感を持ったわけです。
現場は「お前の店の利益がおかしいぞ…何かしているのではないか?」
などと疑われるのを恐れるでしょう。
すると、小さなミスが発生した時に隠そうとするかもしれません。
これは経営者にとって一番怖いことです。

さらに現場からは「あの制度を作っておいてあの言い方はないだろう…」
「トップは本当にあれでいいと思っているのかな?」
などと社内からトップ批判が続出するでしょう。
また、「あれでいいと思っているのなら結局は金儲けのため。
俺たちは使い捨てなんだな」とモチベーションを下げることでしょう。

では反対にトップが「そういう環境を作った私に責任ある」と
言ったらどうでしょう?

現場は「そうだ、お前の責任だ!」と言うでしょうか?
そのようなことはまず言わないでしょう。
逆に「社長、利益のことばかり考えてお客様を忘れていた
自分たちに問題があります。これからはちゃんとやります!」と、
自分たちを責めるのではないでしょうか?

トップが矢印を現場の向けると、現場は攻撃されたことになります。
すると自分を守る感情が働き、トップに対して矢印を向けます。
逆にトップが自分に矢印を向けると、現場は守られたことになります。
すると、現場はその安心感の中で、じっくり反省し
自分で自分に矢印を向けることができます。

また、「問題は自分にある」と言えば、改めるべき点が見えてきます。
上記のケースでは、「その環境をつくり出したことに問題がある」と
トップが認識すれば、当然環境の見直しを行ったでしょう。
すると、社員にとってより働きやすい現場へと進化したことでしょう。

つまり、トップが自分に矢印を向けることは進化することであり
現場に矢印を向けることは、停滞から後退を招くのです。

先日も、顧問先のある営業店の次長が、業績不振の原因を
部下のAさんがいるその場で
「Aがちゃんと働かないからダメなんです~」と私に報告しました。
私はその次長にキッパリこう指摘しました。
「私はあなたの言うことを信じない。
不振の原因はAさんではなく、あなたにある」

そう考えてもらわないと、次長とAさんの間が壊れてしまうし、
業績が良くなる抜本的な改善点が永遠に見つからないからです。

小渕さんは自分に矢印を向けた政治家です。
足元を見直し、支援者との信頼関係を築き直して
これからの使命をまっとうしていただきたいと思います。

 

V字研メルマガ vol.3 自分に矢印を向ける(王貞治)

王監督がダイエーの監督に就任して2年目の96年5月22日。
「生卵事件」と呼ばれる事件が起きました。

この日、近鉄バッファローズとの試合に敗れたホークスは
9勝22敗とダントツの最下位に沈みました。

このふがいない成績に怒ったホークスファンが、
王監督以下ナインが乗ったバスを取り囲みました。
そして、「お前らプロか?」と言う罵声を皮切りに
生卵を約50個フロントガラスに投げつけたのです。

ファンに囲まれたバスはその場で20分以上も立ち往生。
その後バスは直接ホテルには向かわず、
夜中の大阪城公園に停車し、騒ぎが沈静化するのを待ちました。

待っている間、ホークスの選手たちは、最低限のモラルすら失った
ホークスファンを憎んだりする責める気持ちで一杯でした。
王監督はこのとき既に「世界の王」であり、国民栄誉賞受賞者です。
このような仕打ちにどれだけプライドを傷つけられたことだったでしょう。

が、怒りに震える選手たちに対し、
王監督が語った言葉は誰もが想像もしなかったことでした。
それは…

「我々が卵を投げ返すのは簡単だ。
が、これをファンの意見と取るならば、勝つしかないんだよ。
勝てば必ずファンは拍手で迎えてくれる」

ファンが暴徒と化した原因は自分たちにある。
自分たちが変わればファンも変わるという、
自分に矢印を向けた言葉でした。

以来、王監督は帽子のひさしの裏に「我慢」と書いて耐えたといいます。
そして2年後の98年にAランク入りを果たすとそれ以後07年までの間、
優勝3度を含む10年連続Aクラス入の黄金時代を築いたのです。

V字回復を果たす企業やチームに共通しているのが、自分責任論です。
原因はすべて自分にあるとし、自分を変えることで
事態の打開策を見つけています。
「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」と言いますが、
それこそ、問題解決の唯一の解決策だと言えるでしょう。

しかし、これがなかなかできないのです。
景気が悪いのを景気のせいにしても仕方ないのはわかります。
競争相手の強さを競争相手のせいにしても仕方ないのもわかります。

難しいのは、部下やチームメイトの動きが悪いときです。
これを自分のせいでなく、部下や仲間のせいにしてしまうのです。
「お前らがちゃんとやらないから、成績が悪いんだ!」

そうでなくても部門のリーダーをやっていると周囲から
「君の部門のサブリーダーは、動きが悪いね~まだまだだね」
などと部下が評価をされることは少なくありません。
すると「そうなんですよ。彼がもっとシッカリしてくれれば当部も…」
とつい愚痴ってしまうのです。

こんなとき王監督なら何と言うでしょうか?
「そうなんです。エースに自覚がないから負けるんです」
「そうなんです。4番があそこで打たないから負けるんです」
と、周囲にと一緒になって犯人探しをするでしょうか?

ホークスで4番を打っていた松中選手は、
プレーオフで打てずに負けた時、
「過去のことなんだよ。命まで取られやしないんだから
次に向かっていこう」と王監督に励まされたと言います。

これは部下を信じている人の言葉ですね。
「失敗の原因は俺にある。君は未来に向けて励め」と同じですね。
つまり、「矢印を自分に向けること」は「部下を信じること」
とイコールなのです。

王監督は現役時代「王監督のために」と主体性を発揮して
野球に取り組む選手がとても多かったといいます。
それは彼が稀代のスーパースターだからではなく、
「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」を
実践し続けた人だったからでしょう。

 
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株式会社V字経営研究所は、2014年4月に起業した、次世代経営チームの育成を支援するコンサルティング会社です。 「 事業と人財のV字回復するプログラム、あります 」 をスローガンに、企業の最重要課題である増収増益の実現と人財が育つ仕組みづくりを支援します。また、その実践を通じて社長が右腕と頼む次世代経営チームを育てます。次世代経営チームが強くなれば、今日出会ったお客様と、100年後も付き合い続けることができるでしょう。
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